完顔阿骨打とは?金建国の軌跡と大帝国遼を圧倒した軍事改革

完顔阿骨打とは?金建国の軌跡と大帝国遼を圧倒した軍事改革

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完顔阿骨打が築いた国家は、その死後も親族や子孫たちによって拡大を続け、やがて北宋をも滅ぼして中国北部全域を領有する大帝国へと成長しました。

阿骨打の家系図と子孫の流れを見ると、金朝初期は部族社会の慣習に従い、兄弟相続が基本とされていました。阿骨打の死後は弟の太宗(呉乞買)が帝位を継ぎ、遼の残党を掃討するとともに、約束を反故にしようとした北宋へ侵攻。1127年に首都・開封を陥落させて皇帝・欽宗と太上皇・徽宗を連行した「靖康の変(せいこうのへん)」を引き起こし、北宋を滅亡に追い込みました。

その後、第3代皇帝・熙宗(合剌=阿骨打の嫡孫)、第4代皇帝・海陵王(完顔亮=阿骨打の庶孫)、そして「大定の治」と呼ばれる繁栄期を築いた名君・第5代皇帝世宗(完顔雍=阿骨打の孫)へと皇統は引き継がれます。

阿骨打の血を引く完顔一族は、漢文化を積極的に取り入れつつも女真の伝統を保持しようと苦闘を続けました。金朝は1234年、モンゴル帝国(チンギス・カン一族)と南宋の挟撃によって滅亡を迎えますが、生き残った女真族(後の満州族)は再び結束。約400年後の17世紀初頭、ヌルハチが「後金(のちの清朝)」を建国した際にも、完顔阿骨打の金朝建国の精神が最大の拠り所とされました。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。