謹慎期間中、松本明子は渡辺プロダクションの寮に身を寄せ、電話番や掃除などの雑務を黙々とこなしていました。通常の芸能人であればプライドが許さずそのまま引退を選ぶケースが大半ですが、彼女は「どんな仕事でもいいから芸能界にしがみつく」という不屈の執念を見せました。ものまねタレントとしての営業や小さな舞台で地道に実力を蓄え、1989年の『ものまね王座決定戦』で披露したハイテンションなパフォーマンスが転機となります。
そして1990年代初頭、彼女の運命を決定づける2つの伝説的番組が誕生しました。
1つ目は1992年にスタートした日本テレビ系『進め!電波少年』です。松村邦洋とともにMCを務めたこの番組は、アポなしで危険地帯や大物政治家・著名人のもとへ突撃する過激な内容で社会現象を巻き起こしました。松本明子は「女性アイドル出身」という枠を完全にかなぐり捨て、海外の危険地帯への潜入や体を張った体当たりロケに果敢に挑戦。スタッフからの無茶振りを一切拒否せず、泥まみれになりながら笑いを取りに行く姿は、日本中のお茶の間に圧倒的なインパクトを与えました。
2つ目は、中山秀征、飯島直子と共演した日本テレビの深夜番組『DAISUKI!』です。ロケ先でビールを飲み、世間話に花を咲かせながらパチンコを楽しむという、当時としては画期的な「ゆるいロケ番組」の元祖でした。電波少年で見せた激しい体当たり芸とは対照的に、ここでは飾らない等身大のキャラクターと包容力のある笑顔を見せ、男性視聴者のみならず女性層からも絶大な支持を獲得します。
井森美幸、山瀬まみ、森口博子らとともに、松本明子は「バラエティアイドル=バラドル」という新たなジャンルを確立した開拓者として、芸能史にその名を刻むことになりました。