広島出身のミュージシャンを語る際、避けて通れないのが「反骨精神(カウンターカルチャー)」というキーワードです。その象徴が、ロック界のレジェンド・矢沢永吉です。
自伝『成りあがり』にも生々しく描かれている通り、広島市南区での極貧の少年時代、周囲からの偏見や借金取りに追われる過酷な日々が、若き日の矢沢に「絶対に成りあがってやる」という狂気にも似たエネルギーを植え付けました。広島駅のプラットホームから夜行列車に飛び乗り、上京した際の伝説的エピソードは、今なお多くの表現者たちのバイブルとなっています。「オレはいいけど、YAZAWAが何て言うかな?」という有名な哲学は、過酷な現実を生き抜くために自分自身をプロデュースし続けた、広島が生んだ孤高のリアリズムそのものです。
その矢沢の背中を追うようにして登場したのが、名門・修道高校で水球に打ち込み、世界選手権のジュニア日本代表にも選ばれるほどのトップアスリートだった吉川晃司です。「水球でオリンピックを目指すか、音楽の道に進むか」という究極の選択を迫られた際、吉川は「広島にいてはできない、デカいことをやる」と高校を中退し、単身上京を決断しました。
2026年現在の活動状況を見ても、吉川晃司の存在感は唯一無二です。年齢を重ねてなお維持される強靭な肉体、映画や日曜劇場などで見せる圧倒的な重厚感、そして自身の音楽活動において妥協を一切許さない姿勢は、同世代のみならず若い世代からも羨望の眼差しを集めています。さらに、東日本大震災や能登半島地震などの災害時には、ボランティアとして現地に飛び込み、黙々と瓦礫撤去に汗を流すなど、公言を好まない実直な支援活動も「広島男児の筋の通し方」として高く評価されています。