日本球界の歴史において、流行語のごとく定着した「権藤、権藤、雨、権藤」というフレーズ。1961年のシーズン、中日ドラゴンズに彗星のごとく現れた新人は、先発・救援を問わず連日のようにマウンドへ上がり続けた。年間69試合登板、投球回数は驚異の429回3分の1。雨天中止の試合だけが彼に与えられた唯一の休息日だった。
連投の負荷は容赦なく彼の肘と肩を蝕んだ。わずか数年で速球の切れは失われ、実質的な投手生命は短期間で終わりを迎えることとなる。「投手は使い捨ての道具ではない」。自身が味わった絶望的な苦痛と後悔が、後年の指導者人生における揺るぎない確信へと変わった。自分の身体を削ったからこそ、後進の肩を守る言葉には絶対的な説得力が宿っていたのだ。