読者の誰もが抱く疑問が、「なぜカブト虫が4回も繰り返されるのか」「イチジクのタルトや紫陽花にどんな神聖さがあるのか」という点です。荒木飛呂彦氏が作品全編に散りばめてきたサブカルチャーへのオマージュと、宗教学的背景からその元ネタと由来を読み解くと、極めて明快な設計図が浮かび上がります。
1. ロックカルチャーの投影:ザ・ビートルズとボブ・ディラン
カブト虫(Rhinoceros beetle)が「4回」繰り返される理由として、ファンの間でもっとも有力視されているのが、英国の伝説的ロックバンド「ザ・ビートルズ(The Beatles)」のメンバー4人を暗喩しているという説です。荒木作品において洋楽の引用はアイデンティティそのものですが、単なる洒落にとどまりません。
さらに「廃墟の街」はボブ・ディランの代表曲『Desolation Row(廃墟の街)』と完全に一致します。この楽曲は社会の不条理や終末的な混沌を描写した名作であり、DIOが見限った「人間の不完全な世界」そのものを象徴しています。
2. キリスト教の受難劇とルネサンスの夜明け
「ドロローサへの道(Via Dolorosa)」は、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩んだ「苦難の道」を指します。天国へ行くためには痛烈な犠牲と試練が不可避であるというプッチの神学的信念と合致します。続く「ジョット(Giotto)」は、中世の平面的・教条的な宗教画を打ち破り、写実的で立体的なルネサンス美術の扉を開いた画家ジョット・ディ・ボンドーネのことです。平坦な運命の支配から抜け出し、新たな視界(新世界)を拓く象徴として配置されたと考えられます。
3. DIO自身の肉体的・精神的アンカー
「イチジク」は旧約聖書でアダムとイブが知恵の実を食べた後に体を隠した葉であり、原罪と知恵の象徴です。また、西尾維新氏の公認スピンオフ『OVER HEAVEN』の考察を踏まえると、これらの言葉はDIO自身が幼少期に貧民街で母親から聞かされた子守歌の断片や、記憶の底に眠る個人的な情景であり、「DIOの人間としての精神的錨(アンカー)」であったという視点も提示されています。