ネット上の掲示板やSNSでしばしば議論されるのが、「昔の埼京線はもっと速かった」「通勤快速がなくなって不便になった」という声です。この噂の真偽を検証するには、埼京線通勤快速の歴史的経緯を紐解く必要があります。
爆速だった「通勤快速」が姿を消した構造的理由
かつて平日朝夕ラッシュ時に運行されていた通勤快速は、赤羽〜大宮間において武蔵浦和駅にしか停まらないという超速達運転を行っていました(初期は武蔵浦和すら通過する構想もあったほどです)。大宮から赤羽までわずか十数分で駆け抜ける俊足ぶりは多くの埼玉県民に重宝されました。
しかし、この設定は深刻な副作用を生みました。中浦和〜北与野間の各駅で都心直通列車の本数が激減し、各駅停車に利用者が集中した結果、極端な混雑率の偏りが発生したのです。さらに、武蔵野線からの乗り換え客が武蔵浦和駅で通勤快速に殺到し、同駅の階段やホームが危険水域に達する「押し合い・積み残し」が日常化しました。
JR東日本が近年進めてきたダイヤ改正(2019年の日中パターン改変、その後のラッシュ時再編)の狙いは、まさにこの「特定列車への乗客集中防止」と「沿線各駅の乗車チャンス均等化」にありました。通勤快速を各停や快速に振り分けたことで、最速達タイムは数分延びたものの、路線全体の遅延発生率は大幅に抑制される結果となったのです。