ネット上の簡易な解説サイトなどで散見される最大の誤解は、「兼好法師はバックアップや準備を否定し、背水の陣だけを礼賛した根性論者である」という短絡的な決めつけです。
しかし、『徒然草』全体を精読すると、兼好法師は決して行き当たりばったりの無計画を推奨する人物ではありません。むしろ第188段「ある者、子を法師になして」などでは、将来の生活基盤や現実的な技術の習得を極めて合理的に重んじています。
では、なぜ第92段ではこれほどまでに「二本目の矢」を厳しく排除したのでしょうか。その盲点は、「物理的な備え」と「心理的な依存」の明確な峻別にあります。
師匠が問題視したのは、二本の矢が存在すること自体ではなく、「後の矢を頼みて」という依存心です。矢という物質が手元にあることによって、脳内に「最悪、二本目で当てれば面目が保てる」という甘えの回路が自動生成されてしまう脆弱性を突いています。
したがって、「リスク管理のために代替手段を用意しておくこと」と、「やり直せるからと初手の手を抜くこと」は全く別の次元の話です。兼好法師が戒めているのは前者の戦略性ではなく、後者の無意識のサボタージュ(懈怠の心)に他なりません。この境界線を混同してしまうと、本段の教訓をただの無謀なワンチャンス至上主義と履き違えることになります。