孔子「六十にして耳順う」の真相|批判に動じない達観の境地と人間関係論

孔子「六十にして耳順う」の真相|批判に動じない達観の境地と人間関係論

孔子「六十にして耳順う」の真相|批判に動じない達観の境地と人間関係論の全体像を丁寧に掘り下げてご紹介します。

儒教の根本経典である『論語』の為政(いせい)第二に収められた孔子の述懐は、人生の節目ごとの精神的成長を辿る言葉として広く親しまれています。原文は「子曰く、吾十有五にして志に学、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」と続きます。

この中で登場する「六十にして耳順う」について、まず耳順の意味と読み方を押さえておきましょう。一般的には「じじゅん」と音読し、訓読では「六十にして耳順(したが)う」と読みます。「耳順」とは、人の意見や忠告、さらには悪意ある批判や自分と相反する主張を聞いても、耳に逆らうことなく素直に聞き容れられる状態を指します。

論語六十にして耳順う現代語訳をより深く紐解くと、単なる「傾聴」や「我慢」とは一線を画しています。「私は60歳になって、どのような言葉を聞いても感情が波立たず、その背後にある真実や相手の立場がすんなりと理解できるようになった」という境地です。孔子の名言と人生訓の中でも、この耳順は自己の鍛錬から「他者との関わり」へと視座が大きく拡張した瞬間を象徴しています。

前田 葵
著者

前田 葵

マーケティングと消費者心理のトレンドを分析し、現代のヒット商品の背景を読み解きます。