1988年11月から翌年にかけて起きた事件の全貌は、当時の警視庁捜査員や司法関係者をも絶句させた。被害者に対する41日間に及ぶ暴行と監禁、そして遺体をドラム缶に詰めて流棄するという惨絶な結末。東京地方裁判所での公判中、法廷内に提示された数々の証拠は、少年犯罪の概念を根本から覆すものだった。
裁判では、犯行の残虐性と少年法による保護育成の観点が激しく対立した。重い刑罰を求める世論の声が高まる一方、判決は当時の法制度枠内に留まり、関係各所に大きな波紋を残す。この判断を巡り、刑事司法・法律業界では少年法の適用年齢や厳罰化に関する議論が加熱。後年の法改正へ向けた大きな動機となった。