日本における陰陽五行説の受容を語る上で欠かせないのが、飛鳥時代から平安時代にかけて国家の中枢機関として機能した「陰陽寮(おんみょうりょう)」と、伝説的陰陽師・安倍晴明(あべのせいめい)の存在です。
大宝律令(701年)によって中務省(なかつかさしょう)配下に設置された陰陽寮は、単なるオカルトや呪術組織ではありませんでした。暦を作成する「暦道」、天変地異を観測する「天文道」、土地の吉凶を占う「風水道」などを司る、当時の最高峰の自然科学・天文学・情報分析機関だったのです。
平安京の都市設計そのものが、北に玄武(山)、東に青龍(川)、南に朱雀(池)、西に白虎(道)を配した「四神相応(しじんそうおう)」の五行思想に基づいて設計されました。安倍晴明が朝廷で重用された背景にも、卓越した天体観測技術と五行サイクルの深い理解によって、政権を揺るがす日食や気象異変を正確に予測したという実学的な裏付けが存在します。