この坂道を語る上で、まず正しく押さえておきたいのが魚籃坂の読み方です。正しくは「ぎょらんざか」と読みます。行政の交差点名やバス停では親しみやすさと視認性を考慮して「魚らん坂」と表記されるケースが一般的ですが、歴史的な公文書や寺院名では「魚籃」の漢字が用いられます。
確固たる魚らん坂の由来となっているのが、坂の中腹(港区三田四丁目1-29)に位置する浄土宗寺院「三念山宝林院 魚籃寺(ぎょらんじ)」です。元和年間(17世紀初頭)に長崎から江戸へと渡った僧・随本が、承応元年(1652年)にこの地に創建したと伝えられています。
寺の象徴であり、本尊として安置されているのが魚籃寺の魚籃観音(港区指定有形文化財)です。通常の仏像とは異なり、美しい乙女の姿をした観音菩薩が右手に魚を入れた竹籠(魚籃)を提げているという、全国的にも極めて珍しい意匠を誇ります。この観音像の起源は、唐の時代の中国に伝わる「馬郎婦(ばろうふ)観音」の故事に端を発します。
仏教の教えが浸透していなかった中国・陝西省の魚屋に絶世の美女が現れ、「一夜のうちに法華経を暗誦できた者に嫁ぐ」と告げました。見事に暗誦した馬氏の若者へ嫁いだものの、婚礼の直後に突如として息を引き取ります。後に現れた高僧が彼女の墓を開くと骨が黄金の鎖となって結ばれており、仏の教えを広めるために観音菩薩が仮の姿で現れたのだと悟ったという伝説です。この故事から、魚籃観音は「大漁祈願」「商売繁盛」のみならず、「良縁成就」や「所願成就」のご利益があるとして、江戸庶民の間で熱狂的な信仰を集めました。
江戸後期の地誌『江戸名所図会』を紐解くと、当時の魚籃坂周辺が描かれており、急峻な坂道沿いに寺院の白壁が連なり、遠くに品川の海を望む風光明媚な高台であったことが克明に記録されています。海に近い立地と魚を抱く観音菩薩の存在が、往来を行き交う人々の脳裏に強く焼き付き、「魚籃坂」の名が定着していったのです。