護王神社の御祭神である和気清麻呂が「足腰の守護神」として尊崇される背景には、奈良時代末期の神護景雲3年(769年)に勃発した政治的動乱「宇佐八幡宮神託事件(道鏡事件)」が存在します。皇位を簒奪しようと企てた弓削道鏡の野望を阻止するため、清麻呂は命を賭して宇佐八幡宮へと向かい、「皇統ならざる者を即位させてはならない」という神託を持ち帰りました。
激怒した道鏡により、清麻呂は名を「別部穢麻呂(わけべのけがれまろ)」と改名させられ、右大臣に就いていた姉の広虫も流罪となります。その際、追っ手によって足の腱を切断され、自力歩行が不可能な状態に追い込まれたと社伝や古典史料に記されています。配流先の鹿児島(大隅国)へ送られる道中、豊前国(大分県北部)の海岸に差し掛かったとき、再び道鏡の放った刺客が迫りました。
清麻呂が輿に乗って危機一髪の移動を続けていたまさにその瞬間、突如として山から300頭もの野生の猪が現れ、輿の周囲を固めて約40キロ(十里余り)にわたり刺客を寄せ付けず護衛したと伝えられています。猪の群れが無事に神廟への案内を終えて山へと去った直後、痛手を受けていた清麻呂の足の腱は嘘のように治癒し、再び大地を踏みしめて歩けるようになっていたのです。
この劇的な生還劇と歩行能力の奇跡的回復が、後世において「足腰の病気や怪我を平癒させ、立つ力を取り戻す」という強烈な民間信仰へと昇華しました。歴史学的な視点からも、過酷な政治闘争を生き延び、平安遷都の大事業を成し遂げた清麻呂の強靭な生命力そのものが、現代に生きる人々の健康祈願の拠り所となっていることが読み解けます。