知覧の豊玉姫神社を深く理解する上で外せないのが、地元に語り継がれる「姉妹神の領地取り違え伝説」です。由緒書によれば、海の神である綿津見神(豊玉彦命)には二柱の愛娘がいました。姉の豊玉姫は川辺(現在の南九州市川辺町)を、妹の玉依姫は知覧を治めることとなり、開聞岳の麓(頴娃のあたり)をご出発されました。
道中の「鬢水峠(びんみずとうげ)」で髪を整え、「御化粧水(おけしょうみず)」で顔を洗い、飯野、宮入松、白水を経て「取違(とりちがい)」という地でお泊まりになった際、妹の玉依姫は「川辺の地は水田が豊かで実りが多い」と知り、姉の豊玉姫と統治する土地を入れ替えるよう願い出ました。慈悲深い姉の豊玉姫はこれを受け入れ、自ら知覧の地を治めることになったと伝えられています。
この伝説に象徴されるように、豊玉姫は知覧の住民にとって「豊かな水と慈愛をもたらした母なる統治者」でした。姫が崩御された後、人々はその遺徳を偲び、居館のあった亀甲城の麓(現在の武家屋敷・森重堅庭園付近)に社を建てたのが神社の起源です。
境内には、領主直筆の書額をはじめ、「火焔形剣(かえんがたけん)」、「木彫狛犬」、そして「神楽面三十四面」という貴重な社宝が納められています。木々に囲まれた境内を歩くと、観光地の喧騒とは切り離された清廉な空気が漂っており、ネット上の騒がしい憶測とはかけ離れた、古格ある祈りの場であることが体感できます。