竹久夢二の生涯と名作『黒船屋』の真相|愛憎劇が生んだ大正ロマン

竹久夢二の生涯と名作『黒船屋』の真相|愛憎劇が生んだ大正ロマン

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大正デモクラシーの終焉とともに関東大震災が東京を襲い、昭和初期に入るとモダニズムの変遷とともに夢二の人気にも陰りが見え始めます。起死回生を期して1931(昭和6)年から約2年間にわたりアメリカ・ヨーロッパへと外遊の旅に出ますが、世界恐慌の荒波の中で個展は思うような成果を上げられず、異国の地で心身ともに疲弊していきました。

帰国した夢二の体は、すでに病魔に蝕まれていました。自覚症状を無視して創作と放浪を続けていた夢二の病名は肺結核。当時は不治の病と恐れられていた病魔は急速に進行し、1934年1月、長野県にある富士見高原療養所(現・富士見高原病院)へと緊急入院することになります。

澄んだ空気と八ヶ岳の稜線に囲まれた療養所で、夢二は病床にありながらもスケッチブックを手放さず、最期まで美への執着を見せました。しかし病状が好転することはなく、同年9月1日、49歳という若さで息を引き取りました。「思うこと山ほどあれど」という言葉を遺し、波乱に満ちた生涯を駆け抜けた夢二の死は、大正ロマンの時代の完全な幕引きを意味していました。

山田 真由
著者

山田 真由

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