これほどの名門に連なりながら、なぜ得月院の存在は長らく一般に知られてこなかったのでしょうか。そこには封建社会特有の歴史の記録構造と真相が存在します。
江戸時代の公式記録である『藩翰譜』や公儀の史料は、原則として男性当主と正室を中心とした男系継承の記録に特化していました。側室の身元や詳細な生涯は、お家騒動や後継者争いを防ぐための配慮から、意図的に記録を控えめにされるケースが珍しくありませんでした。
しかし、近年の地方史研究や古文書のデジタルアーカイブ化により、私的な日記や寺院過去帳の再調査が進展。その結果、得月院がいかに一族の結束を保ち、幼い後継者を守り抜くために知略を尽くしたかという「隠された貢献」が次々と明らかになってきたのです。