かつて祇園や木屋町といった京都の主要繁華街において、会津小鉄会の存在は飲食業界や不動産業界、建設業界に根深く影を落としていました。しかし、現場の生の声を取材すると、その影響力は劇的に失われています。
祇園で30年以上飲食店を営む地元店主は、街の変貌について次のように語ります。
「昭和の終わりから平成の頃は、みかじめ料や挨拶回りが半ば公然と存在し、会津の代紋は誰もが恐れる絶対的な権力でした。しかし、暴排条例が本格施行され、警察が密着警戒を強めて以降、若い衆が威圧的に練り歩く姿は完全に消えました。今では『会津』の名を口にする人すらおらず、若い世代の店員は組織の存在自体を知りません」
また、関西の捜査関係者は組織の内情をこう明かします。
「一本化されたとはいえ、七代目の金子会長を取り巻く直参の数は極めて少ない。新規の加入者は皆無に等しく、組員の平均年齢は年金受給者並み。資金獲得活動(シノギ)も封じられ、銀行口座の開設や住宅の賃貸すら不可能な中で、組織として若手を養う経済的基盤は完全に枯渇している。形式上は解散していないが、自活能力を失った組織がどこまで持つかという段階に来ている」