国家主導でスタートした殖産興業ですが、1880年代に入ると大きな転換点を迎えます。官営事業の多くが放漫経営や巨額の設備投資によって赤字に陥り、政府の財政を激しく圧迫したためです。西南戦争による戦費増大や紙幣乱発によるインフレも重なり、財政の健全化が急務となりました。
大蔵卿・松方正義の主導により、1880年に「工場払下概則」が制定され、軍関係の工場や鉱山を除き、官営模範工場や鉱山が格安で民間に払い下げられました。この払い下げを受けたのが、三井、三菱、住友、古河といった政商たちです。彼らは最新設備と鉱山経営などを足がかりに巨大な「財閥」へと成長し、日本の経済界を支配する力を蓄えていきました。
結果として、この官から民への事業移転が民間の活力を刺激し、1880年代後半から1890年代にかけての「企業勃興」と「日本の産業革命」を一気に加速させる契機となったのです。