昭和50年代、田端義夫が沖縄でふと耳にした一枚の音源が、すべてのはじまりだった。島の人々が大切に唄うその節回しに、バタヤンは激しく心を揺さぶられたという。「これを自分が歌わなければならない」——直感めいた衝動に駆られた彼は、現地のリズムや情感を肌で感じ取り、自身のボーカルスタイルに見事に昇華させた。
所属するテイチクエンタテインメントからリリースされたシングル音源は、瞬く間に全国のレコード店を駆け巡った。演歌や歌謡曲の枠組みを超え、日常の哀歓を背負うすべての人々に届いたその歌声は、ラジオやテレビを通じて日本中に広がっていく。泥臭くも温かいバタヤンの人間性が、南国の切ない旋律と完璧に融合した瞬間であった。