スタジアム建設を取り巻く様々な軋轢は、そもそも2010年12月のFIFA理事会における不可解な開催地決定から始まっていました。アメリカ、日本、韓国、オーストラリアといった競合国を退け、真夏には気温50度近くに達し、当時はサッカーインフラが皆無に等しかった小国カタールが選ばれた瞬間、世界中が疑惑の目を向けました。
その後の独立調査(いわゆる「ガルシア・レポート」)やスイス・アメリカ司法当局による大規模な汚職捜査により、FIFA元理事らに対する莫大な贈収賄や便宜供与の実態が暴かれ、ゼップ・ブラッター元会長やミシェル・プラティニ元UEFA会長の失脚へと繋がっていきます。「金で買ったワールドカップ」という拭いがたい汚名は、スタジアム建設プロジェクト全体に常に重い影を落とし続けました。
欧米社会から向けられたもう一つの鋭い視線が、「スポーツウォッシング(Sportswashing)」への批判です。潤沢な資金で世界的メガイベントを成功させることで、自国内の過酷な外国人労働環境やLGBTQ+への差別的法制度、表現の自由の制限といった人道問題を覆い隠し、国際的なイメージロンダリングを図っているのではないかという懸念でした。
当時の特番インタビューや手記で語られた労働者たちの証言には、「国に残した家族への仕送りのため、パスポートを取り上げられ、違法な手数料(リクルートメント・フィー)の借金返済のために過酷な労働に耐えざるを得なかった」という切痛な告白が多数残されています。華々しいピッチの足元には、グローバルサウスから集まった数多くの出稼ぎ労働者たちの過酷な生活実態が横たわっていたのです。