政権の初陣を飾った鳩山由紀夫内閣は、「友愛」の理念を掲げて大胆な外交・内政改革に挑んだ。なかでも普天間基地移設問題における「最低でも県外」発言と、東アジア共同体構想は、日米同盟の根幹を揺るがす波紋を広げた。
内閣官房の内部で当時飛び交っていた緊迫した打診や覚書を振り返ると、外務省や防衛省との調整が完全に不全に陥っていた様が浮き彫りになる。理想を高く掲げるあまり、政権内部での合意形成や対米交渉の緻密な戦略を欠いていたことは否定できない。結果として政権は浮足立ち、発足からわずか8ヶ月で鳩山内閣は退陣へと追い込まれた。