水木しげるのトレードマークでもあった「隻腕」。彼が左腕を失った直接的な原因は、戦地での敵機による無差別空襲でした。ズンゲンからの生還後、後方部隊で療養および警備任務に就いていた際、敵大型爆撃機による猛烈な爆撃に遭遇します。
至近距離で爆弾が炸裂し、左腕に重傷を負った水木は野戦病院に担ぎ込まれました。しかし、当時の前線病院には十分な医薬品も麻酔薬も残されていませんでした。軍医からは「腕を切り落とさなければガス壊疽(えそ)で命を落とす」と告げられ、ほぼ麻酔がない極限状態の中で左腕の切断手術が行われました。
生死の境をさまよったものの、強靭な生命力で一命を取り留めた水木は、復員後に貧困と闘いながら紙芝居作家、そして貸本漫画家としてのキャリアをスタートさせます。利き腕である右腕が無事だったことは不幸中の幸いでしたが、左腕のない不自由さを微塵も言い訳にせず、驚異的な執筆スピードで緻密な背景を描き抜く隻腕の漫画家としての伝説を築き上げていきました。