高橋是清の経歴と波乱万丈の生涯は、まさに挫折と逆転の連続でした。幕末の1854年、幕府の御用絵師の子として非嫡出子として生まれ、生後間もなく仙台藩の下級武士・高橋家の養子に出されます。
13歳の若さでアメリカ・サンフランシスコへ留学したものの、現地の悪質な仲介人に騙されて学資を着服され、サインさせられた契約によって3年間ものあいだ事実上の年季奉公(奴隷)として農場や邸宅で過酷な労働を強いられました。持ち前の機転と知人の助けでようやく帰国を果たすと、独学で磨いた英語力を買われて大学南校(現・東京大学)の教官に就任します。
しかし、その後の人生も平坦ではありませんでした。芸者遊びに溺れて職を失い、文部省や農商務省の官僚として特許局初代局長まで務めながら、ペルーの銀山開発事業への投資話に騙されて全財産を喪失。無一文のどん底に転落します。
それでも決して絶望しなかった是清は、英語力と実務能力を見込まれて1892年に日本銀行へ入行。そこから凄まじいスピードで頭角を現し、副総裁、そして日本銀行総裁へと上り詰め、最終的には立憲政友会総裁として第20代内閣総理大臣の椅子を射止めたのです。