大阪桐蔭高等学校時代、辻内崇伸の名は全国にその轟きを響かせていた。投げ込む直球は当時の高校生最速となる156キロ。相手バッターをなぎ倒すその圧巻のピッチングスタイルに、スカウト陣は羨望の眼差しを向けた。2005年のドラフト会議で読売ジャイアンツから1巡目指名を受け、将来のエース候補として大きな期待を背負ってプロ野球の門をたたいたのだった。
しかし、待ち受けていたのは残酷な運命だった。プロ入り直後から肘や肩の度重なる故障に見舞われ、手術とリハビリを繰り返す日々。一軍のマウンドで背番号「98」を輝かせる夢は、病魔ならぬ怪我の連鎖によって遮られ続けた。どれほど過酷なリハビリを重ねても、かつての唸りを上げるストレートが戻ってくることはなかった。