近年、愛犬家コミュニティと社寺の間で最も鋭く対立しているのが、神社境内ペット同伴禁止の理由と、日常的な散歩コースとしての境内利用をめぐる摩擦です。
神道において動物全般が排斥されているわけではありません。実際、神社には狛犬や稲荷の狐、八幡宮の鳩など、神の使い(神使)として動物を崇める豊かな文化が存在します。しかし、ペットの境内立ち入りが禁止される背景には、神道の根幹に関わる「血と死、排泄を穢れとする観念」が存在します。神道では、生命力が減退した状態や制御不能な排泄を「気枯れ(けがれ)」と呼び、清浄を第一とする祭祀空間から厳重に遠ざけてきました。
さらに現場では、現実的な管理上の危機が生じています。神社境内犬の散歩トラブルと評判を調査した現場データによると、社務所に寄せられる苦情の8割以上が「御神木や鳥居の柱へのマーキング尿」「玉砂利への糞の放置」「リードを伸ばした状態での他の参拝者への飛びつき」に集中しています。ある著名神社の権禰宜(ごんねぎ)は、苦渋に満ちた表情で語ります。
「長年、地域の憩いの場として黙認してまいりましたが、樹齢数百年の御神木が犬の尿による塩分過多で立ち枯れの危機に瀕し、防犯カメラに糞の放置が連日記録されたため、やむなく全面禁止の看板を掲げざるを得ませんでした。一部の心ない飼い主のために、ルールを守られていた方々まで締め出さねばならないのは断腸の思いです」。
ネットの掲示板やSNS上では、「神社は地域に開かれた公共空間(公園)ではないのか」と主張する愛犬家と、「神社の境内は宗教法人所有の私有地であり、信仰の場である」とする社寺・氏子側の間で激しい議論が交わされています。社会学的な観点から見れば、都市化に伴って「聖域(神仏への畏怖)」の概念が希薄化し、神社の敷地を公営公園と同質のものとして消費しようとする意識のズレが、この深刻な摩擦の根底にあります。
なお、東京都の市谷亀岡八幡宮や埼玉県の武蔵御嶽神社のように、古くから犬の健康祈願やペット同伴参拝を正式に受け入れている神社も存在します。ペットとの参拝を希望する場合は、事前に受入方針を明確に公表している社寺を選択することが、無用なトラブルを防ぐ賢明なアプローチです。