1995年1月の阪神・淡路大震災をきっかけに、浩史氏は「人生は一度きりだ。本当にやりたいことをやらなければ後悔する」と、安定したエリートコースであった興銀の退職を決意します。周囲の多くが猛反対する中、その決断を最も近くで冷静に後押ししたのが晴子氏でした。
1996年、浩史氏がコンサルティング会社「クリムゾングループ」を設立した際、晴子氏も創業手続きから関与。そして1997年2月、インターネットショッピングモール事業を手掛ける「株式会社エム・ディー・エム(現・楽天グループ)」を立ち上げた際、晴子氏は名目上の配偶者ではなく、正式な創業メンバーおよび取締役として名を連ねました。
当時の特番インタビューや関係者の回想録によると、創業時の楽天は恵比寿の小さなオフィスビルの一室に机を並べただけの零細ベンチャーでした。晴子氏は取締役として、以下のような現場の実務を最前線で取り仕切っていました。
- 出店審査と契約管理:出店数がわずか13店舗から始まった初期の楽天市場において、出店希望企業との細かな規約確認や法務・総務手続きを一手に担当。
- 電話応対とカスタマーサポート:システムトラブルが日常茶飯事だった草創期、激怒する顧客や出店者からの問い合わせに自ら受話器を取り、丁寧かつ毅然とした対応で沈静化。
- 社内オペレーションの構築:突っ走る浩史氏の構想を現実の企業組織として機能させるため、バックオフィス全般の統制を敷き、社員たちのメンター役を担った。
初期の楽天において、浩史氏がアクセル全開で未来を切り拓く旗振り役だったとすれば、晴子氏はブレーキとナビゲーションを一手に引き受ける現場の司令塔でした。晴子氏という実務の柱が存在したからこそ、楽天はドットコムバブル崩壊を乗り越え、驚異的な急成長を遂げることができたと評価されています。