神聖なマウンドに他国の国旗が突き刺される光景は、孤高の天才・イチローのプライドを根底から打ち砕き、同時に侍ジャパンの眠れる獅子を完全に覚醒させることになりました。
2006年のアナハイムの夜、敗戦後のベンチ裏でイチローが見せた表情の険しさは、報道陣の間でも語り草となっています。会見場に現れたイチローは、絞り出すような低い声で「僕の野球人生で、最も屈辱的な日です」と語り、悔しさを露わにしました。常にクールで感情を表に出さないイチローが、カメラの前でここまで直接的な感情表現を使ったことは極めて異例でした。当時のチームメイトの手記によれば、宿舎に戻った後のミーティングでも、イチローの放つ気迫と静かな怒りがチーム全体に伝播し、選手たちの緩みきっていた空気を一変させたといいます。
その屈辱の3日後、日本は準決勝で再び韓国と対峙します。息詰まる投手戦の中、福留孝介の起死回生の代打2ラン本塁打などで6-0と快勝。リベンジを果たした日本は、その勢いのままキューバを下して初代王者に輝きました。
しかし、ドラマはそこで終わりませんでした。2009年の第2回大会で再びペトコ・パークのマウンドに国旗が立てられた際、イチローの怒りは頂点に達します。当時の関係者の証言によると、ベンチ裏へと引き揚げる通路で、イチローは「ふざけんなよ」と吐き捨て、ロッカーの壁を激しく叩いたと伝えられています。2度までも目の前でグラウンドを踏みにじられた屈辱は、日本代表全員の共通の憤怒となりました。
この怒りと闘志の結実が、2009年3月23日、ドジャー・スタジアムで行われた決勝戦・韓国戦の延長10回表です。2死二、三塁の一打勝ち越しの場面で打席に立ったイチローは、韓国の守護神イム・チャンヨン(林昌勇)と8球にわたる歴史的な死闘を演じ、センター前へと弾き返す決勝の2点適時打を放ちました。マウンドへの国旗掲出という屈辱から始まった因縁の戦いは、イチロー自らのバットによって侍ジャパン2連覇という伝説の結末を迎えたのです。