日本語において「兄」「お兄ちゃん」という言葉は、本来であれば「家庭内における年長の庇護者」「血縁に基づく無償の安心感」を象徴する言葉です。しかし本作において、血縁関係のまったくない唯人に対して向けられる「にいちゃん」という呼び名は、もっとも残酷な呪縛の符丁として機能しています。
児童相談や心理学の臨床現場において知られる「心理的グルーミング(性的懐柔)」のプロセスでは、加害者は被害児童に対して「お前の特別なお兄さん」「二人だけの秘密を守る親密な存在」として振る舞い、警戒心を解きながら認知を歪めていきます。幼い日の蓮にとって、「にいちゃん」という呼称を受け入れることは、耐え難い暴力を「愛情や親愛の儀礼」として脳内で変換し、自己の崩壊を防ぐための唯一の生存戦略でした。
時を経て復讐の場となった自室でも、蓮はこの呼称を捨て去ることができません。「にいちゃん」と発音するたび、蓮は過去の被害体験と直面し、相手の存在が自己の一部として縫い付けられている現実を突きつけられます。呼び名を剥奪できないこと自体が、蓮の心理的バウンダリー(自他境界線)がすでに唯人によって完全に侵食されている決定的な証拠だったのです。