禅寺の張り詰めた空気から生まれた「日々是好日」は、室町時代から安土桃山時代にかけて茶の湯の大成とともに茶室へと迎え入れられました。千利休をはじめとする茶人たちは、茶室という非日常の極小空間において、一期一会の精神を可視化するための中心軸として禅僧の墨跡(掛け軸)を用いました。茶席において「日々是好日」の掛け軸がこれほどまでに愛されるのは、その日の天候、季節の移ろい、集う客の顔ぶれ、そのすべてが一生に一度きりであり、何一つとして取り替えが利かないという覚悟を亭主と客の双方が共有するためです。
この茶道における「言葉の体感」を克明に記録し、社会的な再評価を決定づけたのが、コラムニストの森下典子氏による自伝的エッセイ『日日是好日-「お茶」が教えてくれた15のしあわせ-』、および同作を原作として製作された映画(黒木華主演、樹木希林が茶道教室の武田先生役を好演)です。
作中では、20代で茶道を始めた主人公が、就職の挫折、失恋、愛する父の突然の死といった人生の不条理に直面しながら、20年以上にわたって毎週茶室に通い続ける姿が描かれます。若い頃の主人公にとって、床の間に掲げられた「日日是好日」の文字は「ただの綺麗な標語」に過ぎませんでした。頭では理解したつもりになっていても、現実に打ちのめされるたび、「こんな日が良い日であるはずがない」と心が激しく揺れ動きます。
しかし、何千回と繰り返されるお点前の所作、畳の感触、湯の沸く音、そして庭に降り注ぐ季節の雨音に五感を澄ませる中で、主人公はある瞬間、決定的な開眼に至ります。「雨の日は、雨を聴く。雪の日は、雪を見る。夏には夏の暑さを、冬には身を切る寒さを。どんな日も、その日をただありのままに味わう」。世の中には「すぐにわかるもの」と「時間をかけて身体でわかっていくもの」の2種類があり、この言葉はまさに後者の極致であったという告白は、知識としての禅語を生きた血肉へと変える圧巻の記録と言えます。