金は天下の回りものの本当の意味と続きは?回ってこない理由の真相に迫る

金は天下の回りものの本当の意味と続きは?回ってこない理由の真相に迫る

金は天下の回りものの本当の意味と続きは?回ってこない理由の真相に迫るの真相や最新動向に迫る! 専門的な視点でご紹介しています。

ことわざ辞典や学術資料を紐解くと、「金は天下の回りもの」の意味は「金銭は一箇所に留まるものではなく、常に世の中を巡り巡って人から人へと渡っていくもの」と定義されています。ここには二つの対照的な心理作用が組み込まれています。一つは、今はお金に恵まれていない困窮者に対して「いつか自分の元にも巡ってくるから悲観するな」と希望を与える励まし。そしてもう一つは、今たまたま財を成している富裕層に対して「傲慢になって抱え込むな、いつ零落して他人の手に渡るかわからない」と説く戒めの両義性です。

注目すべきは、この言葉に知られざる文学的な「続き」が存在する点です。文献上の初出とされるのは、江戸幕末の1865年(慶応元年)に初演された河竹新七(のちの河竹黙阿弥)作の歌舞伎狂言『上総綿小紋単地(かずさもめんこもんひとえじ)』の一幕です。作中では次のような名台詞として語り継がれています。

「金は天下の回りもの、秋の木の葉の散るごとく、消えて失せてもまた春の、花と咲き出て廻り逢う」

散財や困窮によって手元からお金が消えていく様を「秋の枯れ葉」に例えつつも、冬を耐え忍べば「春の花」となって美しく咲き戻り、再び我が身と巡り合うという無常観と再生への願いが込められています。この風流な続きを知ると、単なる損得勘定を超えた、日本人が培ってきたしなやかな人生哲学が浮き彫りになります。

さらに歴史を遡れば、元禄文化の爛熟期である1688年(貞享5年)に刊行された井原西鶴の浮世草子『日本永代蔵』にも、金銭が固定化されず天下を流通する性質についての鋭い洞察が記されています。富は個人の能力だけで永久に囲い込めるものではなく、社会全体の大きなうねりの中で流動するものだという経済観は、すでに300年以上前の近世日本で確立されていました。

池田 達也
著者

池田 達也

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。