本作を観終えた、あるいは読み終えた誰もが涙し、深く考えさせられるのが「八日目の蝉」というタイトルの意味とラストシーンの解釈です。地中で何年も過ごした蝉は、地上に出てからわずか7日間で命を落とすとされています。もしも「八日目」を生きてしまった蝉がいるとすれば、仲間のすべてが死に絶えた世界で、耐えがたい孤独を味わうだけなのではないか――。作中では当初、過酷な境遇を背負って生き残ってしまった希和子や恵理菜の孤独になぞらえられていました。
しかし、物語の結末においてそのニュアンスは180度転換します。小豆島を再訪し、かつて希和子と歩いた景色をめぐった恵理菜は、自らのお腹に宿った新しい命の存在を実感します。希和子から注がれていたのは、誘拐犯によるエゴではなく、無条件の純粋な愛であったことを魂で思い出すのです。
八日目まで生きた蝉は、たしかに孤独かもしれません。しかし他の蝉が決して見ることのできなかった「八日目の朝の美しさ」を見ることができる。どんなに歪な始まりであったとしても、注がれた愛は本物であり、自分はその愛を受け取って生きてきた。ラストで恵理菜が「その子はまだ、どこにもいない」と未来を見据えて微笑む姿は、親から子へと受け継がれる生命の肯定と、過酷な運命を乗り越えて生き抜く覚悟を示しています。