楽曲の爆発的なヒットは、音楽業界の枠を飛び越えて国家間の文化交流にまで波及しました。当時、日本国内におけるトルコの認知度は現在ほど高くありませんでしたが、『飛んでイスタンブール』の浸透によって「イスタンブール」という都市名は一気に国民的知名度を獲得します。
当初、トルコ側からは「砂漠の国と誤解されるのではないか」(実際にはイスタンブールに砂漠はありません)という懸念の声も一部で上がったものの、結果として日本人の観光客が激増したことから、駐日トルコ大使館から庄野真代へ感謝状や記念品が贈呈される事態となりました。後年、庄野真代自身も実際にトルコを訪れて現地で親善コンサートを開催し、本物のイスタンブールの風を感じながら歌声を届けています。
この社会現象とも呼べるブームを追い風に、庄野真代はその年の瀬、1978年の『第29回NHK紅白歌合戦』に初出場を果たしました。オリエンタルな意匠を取り入れた華やかな衣装で颯爽と歌い上げる姿は、お茶の間の視線を釘付けにし、彼女のキャリアにおける象徴的なハイライトとして刻まれています。