「乗客に日本人はいませんでした」というセンセーショナルな歌詞は、単なる逆張りや安易な社会批判から生まれたものではありません。当時のインタビューや吉井和哉の自著において、その制作プロセスと精神状態が克明に語られています。
1995年当時、バンドは日本武道館公演を成功させながらも、商業主義的なヒットへのプレッシャーや自己表現の壁に直面していました。そんな中、吉井が自宅で目にしたのが、海外で発生した凄惨な航空機墜落事故を報じるテレビニュースでした。アナウンサーが淡々と、どこか安堵のニュアンスを滲ませて「なお、乗客に日本人はいませんでした」と締めくくった瞬間、吉井の胸中に「他国の人命が失われたことに対する無関心と、身内さえ無事なら良いという欺瞞」に対する強い怒りと虚しさがこみ上げたといいます。
「自分たちがどれだけ綺麗事を歌っても、世界はこんなにも冷酷で不条理に回っている」。その絶望感と、それでも誰かを愛し生きていかねばならないという祈りを込めて書き殴られたのが『JAM』の後半パートでした。レコード会社のスタッフからは「ラジオで流せない」「シングル曲として攻めすぎている」と難色を示されたものの、吉井は「この曲をシングルにできないならバンドを辞める」とまで言い切り、背水の陣でリリースに踏み切った歴史があります。