もんじゅの運命を決定づけたのは、1995年12月8日に発生した二次冷却系ナトリウム漏れ事故でした。性能試験中、配管に設置された温度計の先端部分(さや管)が流動振動によって破損。そこから約640キログラムもの高温ナトリウムが噴出し、空気中の酸素や水分と反応して激しい白煙と高熱火災を引き起こしました。現場の換気ダクトや床鋼板は高熱により腐食・溶融するという惨状でした。
だが、真に致命傷となったのは事故そのものの物理的被害以上に、当時の運営母体であった動力炉・核燃料開発事業団(動燃)が取った背信的な対応でした。事故直後に撮影された火災現場のビデオテープを意図的に編集し、被害の全容を映した部分をカットして報道陣に公開。「隠蔽工作」が発覚したことで、地元住民や国民の信頼は瞬時に崩壊しました。公の場での幹部の曖昧な弁明や、その後の内部調査担当者の自死という悲劇まで重なり、プロジェクトは長期凍結に追い込まれます。
その後、組織改編を経て発足した日本原子力研究開発機構(JAEA)のもとで2010年に運転再開が試みられたものの、同年8月には重さ3.3トンの炉内中継装置が原子炉容器内に落下する重大トラブルが発生。さらに2012年には、原子力規制庁の保安検査によって、安全上重要な機器約1万点についての点検漏れ・点検期限超過が発覚しました。
2015年11月、原子力規制委員会は当時の下村博文文部科学相に対し、「JAEAはもんじゅを安全に運転する資質を有していない」と断じ、運営主体の変更か、それができない場合は炉の根本的な見直しを求める前代未聞の勧告を出しました。新たな受け皿が見つかるはずもなく、2016年12月、政府は原子力関係閣僚会議において正式に廃炉を決定。高速増殖炉もんじゅ廃炉理由の核心は、技術的欠陥のみならず、安全文化の崩壊と組織管理能力の完全な破綻にあったのです。