非業の死を遂げた上総広常ですが、その足跡は800年以上が経過した現在も千葉県や神奈川県を中心とする墓や所縁の地に色濃く残されています。
千葉県いすみ市の大原地区には、広常の館跡と伝えられる城山や、広常を供養するために建立された布施殿山・上総介塔が静かに佇んでいます。また、長生郡一宮町に鎮座する上総国一之宮・玉前神社は、広常が頼朝の妻・北条政子の安産を祈願して寄進を行った歴史を持ち、現在も篤い信仰を集めています。
鎌倉の地においても、金沢街道沿いの朝比奈切通し周辺や浄妙寺の近隣に広常の供養塔と伝わる石塔が点在し、歴史ファンが静かに手を合わせる姿が見られます。
一方、上総広常の子孫の現在についてはどうでしょうか。広常の嫡男である能常らは事件直後に処刑または自害へ追い込まれ、上総介の直系嫡流は一度断絶しました。しかし、広常の弟たち(相馬常清や天羽直常など)の系統は名跡を変えながら房総各地に生き残りました。のちに戦国大名として名を馳せる上総土岐氏や、千葉氏の各分家へとその血脈と武士の伝統は受け継がれ、現代の房総地域に暮らす旧家の中にも上総平氏の末裔を自認する家系が脈々と続いています。