読書感想文の題材としても名高い本作ですが、SNSや書評コミュニティの投稿を追跡調査すると、読んだ年代によって受け止め方が劇的に反転する登場人物がいます。それが、近所に住むゲンジさんです。
10代の小中学生が本作を読んだ際、感想の多くは「ゲンジさんが不気味で大嫌いだった」「勝手に鶏を殺してさばくなんて残酷」「まいがおばあちゃんを怒るのも無理はない」といった、まいの感情に同調する声が大多数を占めます。思春期特有の白黒思考(スプリッティング)において、ゲンジさんは明確な「悪者」として処理されがちです。
ところが、20代後半から40代、自ら社会生活を営み生活の労苦を知った大人の読者からは、全く異なる声が上がります。
「大人になって読み返したら、ゲンジさんへの見方が180度変わった。山奥で高齢の女性が一人暮らしをする厳しさを考えたら、草刈りをしてくれたり生活の雑事を手伝ってくれるゲンジさんは、命の恩人に近い存在だったんだと気づいた」
「鶏を絞めるシーンも、スーパーでパックの肉を買う生活しか知らない子どもにはショックだが、田舎の暮らしにおいては命を無駄にせず糧にする日常の現実。ゲンジさんはただ、山の暮らしの規律に生きていただけだった」
おばあちゃんは、ゲンジさんの粗野な面や狡さを知悉した上で、決して彼を排除しませんでした。他者の欠点を裁くのではなく、あるがままを受け入れ、自分との間に適切な距離を保ちながら共存する。まいの「潔癖な正義感」と、おばあちゃんの「成熟した寛容さ」の対比こそが、読者に深い内省を促す仕掛けとなっています。