占守島の戦いとは?終戦後のソ連侵攻と北海道分断を阻止した決死の真相

占守島の戦いとは?終戦後のソ連侵攻と北海道分断を阻止した決死の真相

占守島の戦いとは?終戦後のソ連侵攻と北海道分断を阻止した決死の真相について見逃せない 注意点を分かりやすい構成で解説いたします。

占守島における戦闘は、軍事的な記録を客観的に比較すると極めて特異な様相を呈しています。奇襲を受けて武装解除の途上にあった守備隊が、圧倒的な火力と兵員で押し寄せた侵攻軍を水際で押し返した稀有な戦例だからです。防衛庁防衛研修所戦史室編『戦史叢書』およびソ連崩壊後に公開されたロシア側公式記録を突き合わせると、以下のような決定的な差が浮かび上がります。

項目日本陸軍(第91師団等)ソ連赤軍(第2極東戦線部隊)編集部の客観分析投入兵力約23,000〜25,000名(幌筵島部隊含む)約8,800〜10,000名(第1陣・第2陣)ソ連は少数精鋭の奇襲による短時間制圧を企図主力装備九七式中戦車、九五式軽戦車(計64両)、海岸砲艦砲射撃、米製上陸用舟艇(LCI)、対戦車ライフル日本側の強固なトーチカと戦車戦力を見誤ったソ連の誤算死傷者数約1,000名(戦死者約600〜700名)約3,000名以上(うち戦死者1,500名超)奇襲を仕掛けた攻撃側の死傷者数が防御側の約3倍に達する異例の損害比艦艇・舟艇損失なし(地上拠点防衛)上陸用舟艇など10数隻以上が大破・沈没国端崎・小泊の海岸砲台による正確無比な迎撃砲火の戦果

この死傷者数のアンバランスさは、軍事史において極めて際立っています。近代戦では攻撃側は防御側の3倍以上の兵力を用意するのが定石とされますが、ソ連軍は日本軍の戦意を完全に見くびり、濃霧に乗じた奇襲で無血開城に近い形で島を奪取できると過信していました。その油断が、日本軍の正確な要塞砲撃と戦車部隊の果敢な反撃によって、凄惨な返り討ちという結果を招いたのです。

木村 陽翔
著者

木村 陽翔

デジタルガジェットとスマート家電の検証記事を多数執筆。失敗しないモノ選びを提案します。