当初の構想では、2024年度(2025年春)の段階でより広範囲な同時まちびらきが計画されていました。工期が段階的移行を余儀なくされ、計画修正が重ねられた背景には、日本の近代化遺産をめぐる歴史的な大発見が存在します。それが、2019年末から2020年にかけて線路跡地から姿を現した「高輪築堤(たかなわちくてい)」です。
1872年(明治5年)、新橋・横浜間に日本初の鉄道が開通した際、兵部省(現在の防衛省)の敷地通過を回避するため、海上に盛り土をしてレールを敷いた約2.7キロメートルの石垣堤。文明開化の象徴とも言える貴重な遺構が、およそ150年の時を経て無傷に近い状態で出土した事実は、国内外の考古学・土木学会に激震を走らせました。
当時、開発現場と行政の間では激しい議論が巻き起こりました。巨大都市開発のスケジュールと投資回収を優先して記録保存ののち解体するのか、それとも開発計画を根本から見直して現地保存するのか。当時のJR東日本首脳陣は、文部科学省や文化庁、専門家委員会との協議を重ね、約300メートルに及ぶ遺構の現地保存・公開と、約100億円規模に上る設計変更費用の投入を決断しました。
この決定により、特に遺構が集中していた第3街区・第2街区周辺において、基礎杭の配置変更や地下構造物の再設計、土留め工事の工法見直しが不可避となりました。単なる工事の遅れではなく、「近代土木遺産と21世紀のスマートシティをいかに同一空間で調和させるか」という前例のない課題に挑んだ結果が、現在の段階的開業スケジュールにつながっています。