江戸幕府の職制において、大番は十二組で構成され、各組頭(くみがしら)のもとに五十名ほどの組士が配置されていた。彼らは将軍の近衛兵としての高いプライドを持ち、戦時には常に陣頭に立つことが義務付けられていた。平時においては、江戸城の要所を固めるだけでなく、交代制で京都の二条城や摂津の大坂城、さらには駿府城へと派遣される長距離警備の任務を遂行した。
2026年春、二条城で新たに発見・公開された勤務記録の写しからは、彼らの張り詰めた緊張感がダイレクトに伝わってくる。昼夜を問わぬ見張り、火事や暴動に対する警戒網、そして城内への出入りを管理する厳格な手続。そこには、太平の世にあっても決して刃を曇らせない、プロフェッショナル集団としての峻厳な姿勢が刻まれていた。