三・一独立運動は、当時の日本政府および朝鮮総督府による日本統治の根幹を大きく揺るがしました。
1910年の併合以来、総督府は軍人(陸海軍大将)を総督に据え、憲兵が一般警察の役割を兼ねて厳しく治安を維持する「武断政治」を敷いていました。言論や集会の自由は厳しく制限され、学校の教員すらサーベル(帯剣)を佩用して授業を行うなど、力による威圧的な統治が続いていたのです。しかし、三・一運動の勃発は、そうした強圧支配が民衆の激しい反発を生んでいた事実を白日の下に晒しました。
事態を重く見た原敬内閣は、統治方針の抜本的な見直しを決定。新たに海軍大将・斎藤実を総督に任命し、いわゆる「武断政治から文化政治への転換」を推し進めました。
具体的には、憲兵警察制度を廃止して普通警察制度へと移行させ、教員の帯剣を廃止。さらに、朝鮮語新聞である『東亜日報』や『朝鮮日報』の発行を許可するなど、一定の言論・集会・文化活動を容認する融和策が取られました。ただし、これは民族の分断や治安維持法による水面下の取り締まり強化を狙った「懐柔策」という側面も併せ持っており、統治の本質が変わったわけではないとする指摘も根強く存在します。