欧米の音楽シーンでは、ボブ・ディランやブルース・スプリングスティーンはもちろん、テイラー・スウィフトやケンドリック・ラマーに至るまで、自身の政治的信条や社会批判を歌詞や発言に織り込むことはごく自然な表現行為とみなされます。これに対して日本のJ-POPシーンでは、「政治と宗教の話題を大衆芸能に持ち込まない」という暗黙のコードが戦後長く機能してきました。
心理学的に見れば、日本の大衆音楽ファンがアーティストに求めているのは「情緒的同一化(自己の感情を楽曲に投影して一体化すること)」です。そこに特定のイデオロギーが介在すると、リスナー側は「自分が拒絶されたような疎外感」や「認知的不協和」を抱くことになります。ゆずが直面した摩擦は、この文化的な境界線に無防備に踏み込んでしまった代償と総括できます。
【プロの結論】表現を受け止めるリスナーの判断基準
この楽曲を巡る騒動から私たちが学ぶべき教訓とは何でしょうか。作品の消費において、以下のような視点を持つことが健全なリテラシーにつながります。
【向いている・傾聴すべき人】
記号的な左右の対立を超えて、日常の中でふと感じる「自国へのアイデンティティの曖昧さ」について、一人の人間の率直な自問自答として音楽を受け止められるリスナー。アーティストが敢えて見せた“迷い”や“不器用さ”を味わう柔軟性がある人。
【避けたほうが無難・慎重になるべき人】
楽曲に明確なイデオロギー的メッセージを求め、白黒を即座につけたがる人。あるいは、ゆずに対して「無色透明で純粋無垢な応援歌の作り手」という幻想のみを求めており、人間味に伴う摩擦や複雑な試行錯誤をステージ上に見たくない人。