梅沢富美男が「下町の玉三郎」と呼ばれるようになった背景には、大衆演劇界を根本から覆した劇的な歴史があります。大衆演劇の名門・梅沢劇団の創設者である父・梅沢清と母・竹沢笑子のもとに生まれ、1歳5ヶ月で初舞台を踏んだ彼は、まさに舞台の上で育ちました。
転機が訪れたのは20代半ばのことです。当時、歌舞伎界で当代随一の女形として社会現象となっていた五代目 坂東玉三郎にあやかり、下町の大衆演劇から現れた天才女形として、ファンや演劇関係者から「下町の玉三郎」という愛称で呼ばれ始めました。名付け親の一人とも言われるのが、舞台を観劇してその才能に衝撃を受けた劇作家の武田鉄矢氏やマスコミ関係者たちです。
兄である梅沢武生氏が座長を務める梅沢劇団で、富美男が女形として舞うようになると、劇場は連日超満員を記録しました。切符を求めて前日から長蛇の列ができ、劇場周辺の交通が麻痺するほどの社会現象へ発展。泥臭いと見なされがちだった大衆演劇のイメージを、彼の美しさが一気に華やかなエンターテインメントへと昇華させました。