この言葉の直接的な出典は、推古天皇12年(西暦604年)に聖徳太子(厩戸皇子)が制定したとされる『十七条憲法』の第一条冒頭です。当時の日本は豪族同士の激しい権力闘争が続いており、国家としてのまとまりを確立するために官吏たちの心構えを説いた規範でした。
さらに遡ると、中国の儒教経典である『論語』学而篇に記された思想家・有子(ゆうし)の言葉にルーツを見出すことができます。『論語』には「礼の用は、和を貴しと為す(礼之用、和為貴)」という一節があり、規律(礼)を運用する上では調和(和)が最も大切であると説かれています。
聖徳太子はこの儒教の知恵を取り入れつつ、当時の日本が抱えていた豪族対立を調停するための実践的な政治哲学へと昇華させました。