ネット上の一部では「大関時代の歌手活動は単なる副業・お小遣い稼ぎだったのではないか」という誤解が散見されます。しかし、当時の日本相撲協会の規約や関係者の証言を紐解くと、事実は全く異なります。
増位山自身の証言によれば、レコードの売上や歌唱印税の大部分は、部屋の維持費や若い弟子たちの育成費、相撲協会の活動資金へと還元されていました。本人が贅沢をするための副業ではなく、「相撲部屋という大家族を守り、大相撲界の知名度を高めるための社会貢献」という側面が極めて強かったのです。
また、「歌ばかり歌って稽古をしていなかった」という言説も明らかな誤認です。増位山は技巧派として知られ、立ち合いの変化や足技、いなしの技術は人一倍の研究と猛稽古の賜物でした。土俵と芸能の双方に誠心誠意向き合ったからこそ、今なお角界の先輩・後輩からも深い敬意を払われています。