鳥山明の知られざる伝説と真相|遺産・遺作Daimaから功績まで解剖

鳥山明の知られざる伝説と真相|遺産・遺作Daimaから功績まで解剖

鳥山明の知られざる伝説と真相|遺産・遺作Daimaから功績まで解剖の全体像を詳しく解説してご紹介します。

鳥山明氏のキャリアは、順風満帆なエリートコースとは程遠い場所からスタートしました。1955年、愛知県に生まれた鳥山氏は、地元・愛知県立起工業高校のデザイン科を卒業後、名古屋市内の広告デザイン会社にデザイナーとして就職します。しかし、朝の出勤が苦手だったことや組織の枠に収まりきらない気質から、わずか2年半ほどで退職。無職となって小遣いに困っていた際、喫茶店で偶然目にした『週刊少年マガジン』の新人賞募集(賞金50万円)が、彼を漫画の道へと引き戻すきっかけとなりました。

締め切りに間に合わず、毎月賞金を募集していた『週刊少年ジャンプ』へ投稿先を変更したことが、運命の歯車を大きく動かします。この投稿作に着目したのが、後に集英社の名物編集者となる鳥嶋和彦氏(マシリトのモデル)でした。「今は下手だが、描き直せば必ずモノになる」と見抜いた鳥嶋氏から課されたのは、過酷なネーム(絵コンテ)指導でした。当時のインタビューや回顧録において、鳥山氏は「最初の1年で約500枚もの原稿をボツにされた」と証言しています。しかし、この千本ノックにも似た試練によって、無駄を削ぎ落とした抜群のコマ割り感覚と、誰が見ても直感的に状況が把握できる卓越したデッサン力が鍛え上げられました。

1980年、その才能は『Dr.スランプ アラレちゃん』で一気に開花します。ペンギン村を舞台に、人間味あふれるロボット少女・則巻アラレが巻き起こすポップでナンセンスな日常劇は、瞬く間に日本中を席巻。アニメ版の最高視聴率は36.9%を叩き出し、当時の日本の流行語を独占する社会現象となりました。

そして1984年、鳥山氏自身が大ファンであったジャッキー・チェンのカンフー映画に着想を得て連載が開始されたのが『ドラゴンボール』です。当初こそ冒険ファンタジー色を帯びていましたが、鳥嶋氏の「主人公に明確な目標を持たせるべきだ」という助言を受け、「天下一武道会」編を機に本格的なバトルアクションへと舵を切ります。洗練されたスピード感あふれる構図、立体的な空間把握能力に裏打ちされた肉弾戦の描写は、日本国内にとどまらず、やがて欧米、アジア、中南米へと飛び火し、全人類を魅了する不滅の金字塔へと成長を遂げました。

高橋 健太
著者

高橋 健太

Webメディアでの編集・執筆歴10年。読者の好奇心を刺激するストーリー作りを心がけています。