坂本龍馬が兄である坂本権平から家宝の「陸奥守吉行」を託されたのは、文久2年(1862年)の脱藩後、幕府の追手をかわしながら国事に奔走していた時期のことです。龍馬自身、兄へ宛てた手紙の中で「吉行を持参せしところ、国中の諸士が皆羨ましがり候」と誇らしげに記しており、この一振に強い愛着と矜持を抱いていたことが伺えます。
その愛刀が歴史の表舞台で最も凄惨な役割を果たしたのが、慶応3年11月15日夜の「近江屋事件」でした。京都・四条河原町の近江屋二階で中岡慎太郎と密談中、刺客の急襲を受けた龍馬は、床の間に置かれていた吉行を引き寄せ、咄嗟に身を守ろうと応戦しました。
当時の目撃証言や現場を検分した土佐藩士らの記録によると、刺客の激しい初撃を抜刀前の吉行の鞘で受け止めたとされています。その結果、鞘は斜めに削ぎ落とされ、さらに抜き放った刀身の峰(棟)や鍔元にも敵の刃を防いだ受傷が深く刻み込まれました。頭部などに致命傷を負いながらも、龍馬が最期の瞬間まで握りしめていた吉行は、血塗られた幕末の惨劇を直接目撃した無言の証人となったのです。