三島の自決をめぐっては、文壇での人間関係や評価に対する葛藤もしばしば取り沙汰されます。特に師弟関係にあった川端康成とのノーベル賞を巡る確執の噂は、当時から多くの憶測を呼びました。
1968年、川端康成が日本人初となるノーベル文学賞を受賞した際、三島は自ら推薦文を執筆するなど師を称えつつも、内心では激しい焦燥感を抱いていたと証言されています。当時の選考慣例から「同じ国から短期間に連続して受賞者は出ない」とされ、三島自身の受賞が遠のいたことは事実でした。
しかし、近年の書簡研究や記録によれば、二人の間に決定的な決裂があったわけではなく、三島は川端を終生敬愛し続けていました。落選による失望感というよりも、「文学の言葉だけでは世界を変えられない」という無力感こそが、三島を行動へと駆り立てた根本的な要因だったと言えます。