現在のように高度なデジタル合成(VFX)が存在しなかった昭和から平成初期において、画面に映し出された危機はすべて「実写」でした。大正製薬の制作陣が目指したのは、劇場用アクション映画に匹敵する緊迫感と本物志向です。
当時の制作関係者やキャストの手記によると、ロケ地は伊豆半島の切り立った海食崖をはじめ、オーストラリアの広大な峡谷やニュージーランドの激流など、足を踏み入れるだけで危険が伴う場所が選ばれました。ヘリコプターからの吹き降ろしを受ける断崖で、俳優たちは細い安全ワイヤーを施されたのみの状態で、文字通り指先の力だけで宙吊りになっていたのです。
生前の渡辺裕之はトーク番組や取材で「現場に入るとまず遺書を書かされるような空気感があった」「激流での撮影では冷水で全身の感覚が麻痺し、相棒の手を握り損ねたら本当に流される恐怖と戦っていた」と述懐しています。NGテイクが重なれば握力は失われ、腕の筋肉が痙攣する中で「ファイト一発!」の叫びを絞り出す――あの迫真の表情は演技ではなく、極限状態から生まれた人間の剥き出しの生命力そのものでした。
そもそも「ファイト一発」という言葉の元ネタはどこにあったのでしょうか。1962年の発売当初、巨人の王貞治を起用したキャンペーンでは「ファイトで行こう」がメインコピーでした。しかし1970年代後半、高度経済成長から安定成長へと移行する過渡期において、より瞬発力と力強さを感じさせるフレーズが求められました。そこで「一瞬の集中力で危機を突破する」という商品コンセプトを凝縮し、1977年の勝野洋・宮内淳コンビの登板に合わせて「ファイト一発!」へと刷新されたという経緯があります。