ことわざが持つ射程の広さは、現代人の認知バイアスや深層心理を見事に突いている点にあります。「自分は客観的で、相手をコントロールできる」と過信して現場に向かった人物ほど、なぜ相手のペースに飲まれてしまうのでしょうか。
心理学および行動経済学の観点から分析すると、主に3つのメカニズムが関与しています。
第1に、「コミットメントのエスカレーションとサンクコスト効果」です。説得に失敗しそうになったとき、初期の目的を取り下げて撤退すれば損失は最小限で済みます。しかし、「これだけ時間と労力をかけたのだから、成果を持ち帰らなければ面目が立たない」と固執することで深入りし、最終的に相手の提示した極端な妥協案や思想を受け入れてしまいます。
第2に、「認知的不協和の解消」です。相手と激しい議論を交わす中で、相手の主張に含まれる一部の正当性を認めてしまった瞬間、自身の内部に「相手を否定する自分」と「相手に共感する自分」の矛盾(不協和)が生じます。この居心地の悪さを解消するために、無意識のうちに自らの立場を書き換え、「実は相手の言い分のほうが正しいのではないか」と自らを納得させてしまうのです。
第3に、臨床心理学で議論される「心理的バウンダリー(境界線)の脆弱さ」です。他者への共感力が高すぎる人や、承認欲求の強い交渉者は、相手の不満や感情の圧に当てられると、自他の境界線が溶けてしまいます。悪質なクレーマー対応において、最初は理不尽な要求を拒絶するつもりで出向いた担当者が、何時間も罵倒され続けるうちに精神的に摩耗し、最終的に会社の規則を逸脱した不当な金銭補償を約束してしまう構図は、まさにこの心理的バウンダリーの崩壊が引き起こす典型例です。