画面中央で質素な服を着て静かに手を組む男性、彼の本名はジュリアン・フランソワ・タンギー(Julien François Tanguy, 1825–1894)です。パリ・モンマルトルのクロゼル通り14番地で画材店を営んでいた彼は、若い画家たちから親しみを込めて「タンギー爺さん(ペール・タンギー)」と呼ばれていました。
タンギーの経歴は波乱万丈でした。もとは石膏職人や鉄道員として働き、1871年のパリ・コミューン(革命自治政府)に参加した廉で逮捕・投獄された過去を持ちます。激動の時代を生き抜いた彼は、徹底した社会主義思想と弱者への深い同情心を終生失いませんでした。
画材商となってからのタンギーは、商売人としては極めて異色でした。絵の具を買う金のない若い貧乏画家たち――クロード・モネ、ポール・セザンヌ、カミーユ・ピサロ、ポール・ゴーギャン、そしてゴッホに対し、「売れない絵画」を担保代わりに受け取って画材を無償で提供し、自宅で温かいスープを振る舞ったのです。当時の画壇で嘲笑されていた前衛画家たちを誰よりも早く認め、店の奥にセザンヌやゴッホの作品を並べて売り先を探し続けました。
タンギーの妻は利益の出ない夫の行動に激怒し、夫婦喧嘩が絶えなかったと伝えられていますが、タンギー自身は「芸術家が腹を空かせていては良い絵は描けない」と笑っていたといいます。ゴッホにとってタンギーは、単なる取引先を超えた「パリにおける父親のような庇護者」でした。