作家であり熱心な翻訳家でもある村上春樹氏が、なぜトルーマン・カポーティという特異な文豪の翻訳に挑んだのか。自著の解説や文芸誌のインタビューにおいて、村上氏はカポーティの文章を「天賦の才によって磨き抜かれた、一分の隙もないクリスタルな文体」と繰り返し評しています。
村上氏がアメリカ文学翻訳に携わる際、根底にあるのは「自らが小説家として成長するための血肉とする」という極めて実践的な動機です。カポーティが20代で完成させた研ぎ澄まされた文章のリズム、余分な装飾を削ぎ落としながらも深い余韻を残す情景描写は、村上氏自身の創作の原点と深く共鳴していました。単なる憧憬を超え、文体構造の秘密を解剖し自らの日本語表現を拡張するための試練として、カポーティの翻訳は必然の選択だったといえます。
さらに見逃せないのが、時代を経たことで生じた「言葉の目詰まり」を解消したいという編集的・批評的意図です。名作と称されながらも昭和中期の文脈で固定化されていたカポーティ像を、21世紀の生きた日本語によって再定義すること。これこそが、村上氏が新訳の筆を執った最大の引き金でした。